ダヴィッド・テニールス・ザ・ヤング(1610-1690)
ダヴィッド・テニールス・ザ・ヤング(1610–1690)は、アントワープとブリュッセルで活躍したフランドルの画家であり、特に風俗画、農民の祝祭、酒場の内部、錬金術の実験室、衛兵室の情景などで知られている。アントワープ生まれで、画家ダヴィッド・テニールス・ザ・エルダーの息子であり、その弟子でもあった。 テニールスは1632年から1633年にかけてアントワープの聖ルカ組合に入会し、1637年にはヤン・ブリューゲル(父)の娘アンナ・ブリューゲルと結婚した。この結婚により、彼は当時最も著名な芸術家一家の一つと縁を結ぶこととなった。
1640年代までに、彼はアントワープを代表する画家の一人となり、1644年から45年にかけて聖ルカ組合の組合長を務めた。1651年には、スペイン領ネーデルラント総督レオポルト・ヴィルヘルム大公の宮廷画家として任命され、大公の膨大な美術コレクションの管理と記録を任された。 彼は、美術コレクションの初期の図録である『テアトルム・ピクトリウム』(1658年初版)の制作において中心的な役割を果たした。この頃、彼はブリュッセルに移住し、そこで風景画、宗教画、日常生活の情景など、幅広い題材の絵画を制作し続けた。
テニールスは長いキャリアを通じて精力的に活動し、南ネーデルラントの風俗画の発展に多大な影響を与えた。彼は1690年にブリュッセルで死去した。

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